エッセイ募集「愛・地球博とわたし」のB部門・選考結果について
エッセイ募集「愛・地球博とわたし」のB部門に応募いただき、ありがとうございました!
全48作品の応募があり、厳正に選考した結果、5作品を選考いたしました。
なお、受賞作品以外にも、素晴らしい作品を多数応募いただきましたので、受賞作品5作品に加え、応募いただいた作品の中からいくつかの作品を紹介させていただきます!
B部門・優秀賞(全5作品)
清水弥乃さん
推薦:愛知万博20周年記念事業実行委員会
「道草」
コミュニティガーデン「風の丘」。人と自然の距離が縮められることを願ってつくられた、風の気持ちよい丘。私はそこで、今年の4月から、植物のお世話をするボランティアに参加している。
住む地域も年齢も異なる人同士が、「植物が好き」という共通の思いを持って集まっている。当然植物の話は尽きないうえ、モリコロパークのイベントの話で盛り上がったり、家族の誕生日を祝い合ったりすることもある。同世代は他にいないものの、皆様のあたたかさに支えられながら、毎回楽しく活動している。
月曜日と金曜日の午前中だけでは足りない、もっと活動したいのに……と感じてしまうほどに、私にとってかけがえのないこの時間。実は、本来、私の人生には存在するはずのない時間だった。
現在、私は大学4年生。2回目。
自信を持つきっかけになればと、大学に入りさまざまなことに挑戦したが、うまくいかないことの連続で、逆に自信は失われていくばかり。心身の調子を崩してしまい、卒業論文の出来にも納得がいかなかったことで、今に至る。
今回のボランティアも、もともと消極的な私にとっては、大きな挑戦でもあった。ただ、この挑戦は大成功だと心から思える。他とは異なり、私を救っている挑戦であるからだ。
風の丘に1歩足を踏み入れれば、募る不安も和らいでゆく。これは、自分の何倍も大きな自然が持つ力だと感じる。私たちが育てているプランターやドラム缶の植物だけでなく、道端の雑草も、自らが命を輝かせる姿を見せながら、あなたも生きていいんだよと伝えてくれている気がする。乾ききった土のようにひび割れており、押し固めようとしても、少し尖ったものが触れただけで、音を立てて崩れてしまうほど脆い。そんな私の心にも、恵みの雨が降り注がれるかのように、風の丘で植物と向き合っているときは、なんだか気持ちが安らぐ。そして、植物を一緒に育てている方々や、植物を見に来られる観光客の方々と話していると、幸せで満たされる。
今の私は、進むべき道から外れ、道草を食んでいるようにしか見えないかもしれない。しかし、時間がゆるやかに流れる風の丘で、少しずつ心が整ってゆくのを感じた経験から、生きていれば道草が必要になるときもあるのではないかと思うようになった。道から外れた場所で過ごす時間が、出会う人が、ものが、良い影響を及ぼすこともある。そう学んだからには、私もいつか、道草が必要な人の助けになりたい。
前田真志さん
推薦:野外民族博物館リトルワールド
「問い直す文明、つなぎ直す学び ― 地元から始まった再生の思想」
私にとって「愛・地球博」は、単なる記憶ではない。風土に染み込み、人生を形づくってきた文化そのものである。愛知県長久手市で育った私は、2005年の博覧会に家族とともに関わった。「熱帯!バナナ村」というパビリオンで、バナナの茎から紙を漉く循環型資源の展示に、家族が運営協力していたのだ。幼い私は、その湿った繊維の感触や、パビリオン内の匂いを今でも覚えている。自宅には今もそのときの記念品やポスターが残され、私の原風景の一部となっている。
そして今年、その地で開催された20周年記念祭に参加した私は、懐かしさ以上の衝撃を受けた。環境劇『NABA ― スマホとゴールド』は、現代人の消費と孤立を象徴的に描き出し、山極壽一先生と関野吉晴先生の「グレートジャーニー」対談では、人類の文明が辿るべき再生の道筋が語られた。私はアメリカで環境社会学と生態倫理学を学んでいるが、これらの企画は環境問題を「数値」ではなく「思想」として捉える視座を与えてくれた。
とりわけ印象に残ったのは、『NABA』に出演したフィリピンの子どもたちの存在だった。彼らの家族の中には実際に鉱山で働いた経験を持つ人々もおり、子どもたち自身も、教育や環境が十分に整っていない地域で育ってきたという。そうした背景を持つ彼らが、遠く日本まで来て、舞台上で「だから 努力する 勉強を がんばる」と歌った場面は、単なる台詞ではなく、自らの人生に根ざした決意だった。私はその言葉に圧倒され、自分自身がいかに恵まれた環境にいるかを痛感すると同時に、学びを分かち合う責任を強く感じた。そして、教材が日本だけでなく、学びたいと願う誰かの手に届く仕組みをつくろうと決意した。
私は今、使用済み教材を回収・再配布するプロジェクトを構想・実行している。塾に通えない子ども、不登校、外国にルーツを持つ家庭、被災地や海外の日系社会など、多様な現場をつなぐ仕組みだ。これは資源の再利用にとどまらず、「学びの文化」を再生する試みでもある。
原点は長久手にある。20年前にバナナの茎から紙を漉いたあの体験も、20年後にその意志を受け継ぐ今も、すべては地元の記憶から始まった。私は、小さくとも確かな継承者として、学びの火を絶やさず、未来という名の博覧会を静かに、しかし確実に紡ぎ続けたいと願っている。
山本結翔さん
推薦:総合地球環境学研究所・上廣環境日本学センター
「ウミガメと海洋ごみ問題」
開催中の大阪・関西万博に行きたいと思い母に伝えたら、母が20年前に愛知でも万博があったんだよと教えてくれた。
当時、私はまだ生まれておらず、兄2人を連れて万博に行っていた事を嬉しそうに話す母を見て私は愛・地球博についても知りたいと思いインターネットで調べてみた。
当時の会場が今は愛・地球博記念公園として開設され、愛・地球博20祭を行っている事を知った。
インターネットで申し込めるイベントがあり、気になった2つを申し込み参加した。
1つはウミガメのサバイバルゲームの講座で、ウミガメについて学んだ。ウミガメがプラッチックごみをえさと間違えて飲み込み死んでしまう事に衝撃を受けた。学校の授業でSDGSについて学び、その中に海の豊かさを守ろうという項目があったことを思い出した。
愛・地球博のテーマ自然の叡智、持続可能な社会の大切さ、限りある資源をどう使い地球環境を守っていくのかにつながると思った。私はまずごみ問題を何とかしないといけないと考えている時に、2つ目のプロギングについても知った。
プロギングはジョギングをしながらごみ拾いをする活動で、筋力や体幹を鍛えながら環境美化に貢献できるので、中学で野球部に所属している私にぴったりだと思った。毎日実践しようと決意した。
2050年には海の魚の重量よりプラスチックの重量の方が大きくなると言われている海洋プラスチック問題。
生態系にも人間にも重要な悪影響を及ぼすごみ問題。
ウミガメに限らず海の生き物たちが、人間が捨てたごみを食べない様にしたい。そのためには陸上のごみを減らす事で海洋ごみの流出を防ぎ、海洋生物の生息環境を守れると私は思った。
私はごみ問題について、ごみの削減、マイバックやマイ水筒を持参し、3Rを心がけます。一人一人の行動が未来を変える、未来をつくれると私は考えます。
佐藤友祇さん
推薦:愛知県国際交流協会
「愛・地球博とわたし」
「自然の叡智」をテーマに開催された2005年の愛・地球博。私自身2005年生まれで開催時の記憶など全く無い訳だが、その理念や記録写真・映像を通じて、世界中の人々が地球の未来について真剣に語り合ったあの舞台に強い憧れを抱いてきた。そして今年、「愛・地球博20祭 地球大交流フェスタ」において、私もまたこの壮大な対話の輪に加わることができたのかもしれない。
かつての万博会場が再び「地球」をテーマに躍動する光景に胸を打たれた。あの時ほどの活気は無い。がしかし県の政策などによりここ数年また知名度と活気を取り戻しつつある愛・地球博記念公園。国や文化を超えて人々が集い、多様な価値観を尊重し合いながら、未来について語り合う。そんな空間に身を置くことで、私の中にも新たな視点と希望が芽生えた。
特に印象に残っているのは、各国独自の持続可能な生活スタイルや環境保護への取り組みである。竹や再生紙で作られた食器、無農薬で育てた野菜、太陽光で動くミニロボットなど、「自然と共に生きる」ための創意工夫が随所に感じられた。それらは決して大げさな技術ではないが、一人ひとりの暮らし方に対する意識が変われば、地球全体が少しずつ良い方向へ動き出すのだと教えてくれた。
また、音楽や踊り、食文化を通して異なる国の人と交流する中で、「違い」は対立の種ではなく、学びや共感のきっかけになることを実感した。あるひとりの子が話してくれた
「私たちはみんな、地球の子どもだ」 と
この言葉が心に残っている。国籍や言語、宗教が異なっても、同じ空の下で暮らす仲間であるという感覚が、このフェスタを通じてより確かなものになった。
こうした体験を通じて得た「つながり」と「対話」の大切さを、これからの生活に活かしていきたいと考えた。たとえば、日常の中で環境にやさしい選択をすること。自分と異なる背景を持つ人に対して、理解しようとする姿勢を忘れないこと。そして、未来の地球を守るために、小さな行動を積み重ねていくこと。塵も積もれば山となる。地球規模で行えば塵も山と化し、山はそれどころでは無くなるのだ。
「愛・地球博20祭」は、過去の遺産を懐かしむ場ではなく、新しい希望の種を蒔く場だった。その種が芽を出し、やがて大きな木となるように。私も愛・地球博の年に生まれてはや20年。自分なりの行動で、このイベントや万博のように未来という土壌を耕していきたいと思う。
久保美早妃さん
推薦:愛知県立大学
大阪万博開催のニュースを目にしたとき、私はふと二十年前の記憶に引き戻された。
当時4歳の私にとって、愛・地球博は初めて「世界」に触れた場所だった。色鮮やかなパビリオン、遠くから聞こえる異国の言葉、香ばしい屋台の匂い。すべてが新鮮で、目に映るものすべてがキラキラと輝いていた。帰宅すると父が地球儀を手渡し、万博で見た国々の場所を一つひとつ教えてくれた。あの体験こそが、私の世界への好奇心を芽生えさせた“原点”だった。
あれから二十年。今、私はカナダの大学に通い、就職活動を目前にしている。海外か日本か。自分の未来をどこに描くべきか、頭の中で地図がくるくる回るように迷っていた。そんなとき、一時帰国中にSNSで「愛・地球博20祭」の開催を知った。胸のざわつきに導かれるように、片道3時間の道のりを駆け出していた。
会場のモリコロパークでは、ちょうど「集まれ!あいちの魅力博」が開催されていた。各市町村が熱意を込めて地域の魅力を語り、その思いがまっすぐに胸に届いた。七宝焼きの体験では、伝統工芸が持つ歴史の重みと、手のひらから伝わる温もりに心を震わせた。20年前、世界の広さに圧倒された私が、今度は足元に広がる豊かさに気づかされた。
日本の良さを胸に抱きながら海外で働く道も、日本の魅力を世界に発信する道も、どちらも尊い選択肢だ。 あの地球儀を回した小さな手は、今、自分の世界地図を描きはじめている。
優秀賞以外の地球大交流・未来共想プロジェクトセレクション作品
鵜飼正信さん
「環境の時代 第3の力『地球市民』」
今、地球は疲れている。私たちは気候変動による異常気象の常態化にようやく気付き始めた。20世紀、大量生産、大量消費、大量廃棄の時代を反省するかのように「21世紀は人と自然が共生する時代」待ったなし、人類共通の課題、未来に継承すべき原点たる思いだろう。
モリゾーとキッコロの2人が海上の森に帰ったあの日から20年。「愛・地球博20祭」でまた会えたね。会場には地球を大樹に見立てたオブジェ「地球の樹」が来場者を迎える。「愛・地球博20祭」に参加し循環社会に触発された。
モリゾーキッコロミュージカル「またね、こんにちは」語りかけるようなストーリー展開、豊かな森と清らかな水を未来につなげていく大切さを訴えていた。劇中歌「またねこんにちは」「みんなの未来へ」に込められたメッセージ「一つの地球」「地球市民」の意識は20年で大きく育っている。
「愛・地球ライブフォーラム」愛・地球博20年を検証し地球の未来を考える3つの未来フォーラム「自然の叡智から未来へ」「地球市民から未来へ」「万博未体験世代から未来へ」が熱心に話し合われた。愛・地球博を知らない若い世代の活動が紹介されていた。
「エコのつぼみ」地域の竹林を守る保護活動、竹炭に加工・商品・販売まで担っていた。会場に展示した竹炭が活動の成果を雄弁に物語っていた。
「きらきら☆したら」奥三河、少子高齢化・過疎化の進む設楽町の祭りにボランティア参加し町おこしの一翼を担っていた。町民との積極的なコミュニケーションは大きな信頼を得自信につながったに違いない。
自分にもできる環境保護活動に取り組むようになった。メモ用紙には広告チラシやパソコンプリンターの反故紙を再利用し、使用後は資源ごみ。牛乳の紙パックは良質なパルプ材、洗って開いて乾かしてリサイクル資源回収へ。週3回のゴミ回収日、集積場までの道すがらゴミを拾う「ちょこっとボランティア」を続けている。家庭ごみの減量や分別、節水、節電などに取り組むようになった。
「身近なことを自分にできることを自分のできる範囲で気軽に楽しむ」
夢あふれる地球をみんなの未来へみんなの明日へ、未来は私たちの手にかかっている。
長谷川光さん
「愛・地球博からの贈り物」
2005年愛・地球博開催当時1歳半頃であった私は、寂しくもその思い出をありありと思い浮かべることはできません。しかしながら、両親に連れられて何十回と足を運んだことや、どのようなパビリオンに訪れ、私がどのような反応を示していたのかを、幼い頃より両親から時折話を聞いていました。それゆえであるのか、その後「モリコロパーク」と姿を新たにしたこの地に遠足等で訪れるたびに、さらに言うと、その名を耳にするたびに、親しみと愛着が胸いっぱいに広がる感覚があります。いつしか、2005年愛・地球博とモリコロパークは私にとって、ふるさとの一つのような存在となっていたのでしょう。
そして楽しみに迎えた、今回の2025年愛・地球博20祭。オープニングセレモニーの冒頭で2005年愛・地球博の様子がスクリーンに投影されてまもなく、何とも言えぬ郷愁の念に駆られると同時に、20年という壮大な時の流れと自身の成長とが重なり合い、湧き上がってきました。幼き私が確かにそこに息づいていた、そう感じさせてくれるひとときであったように思います。
一方、実行委員会主催の各イベントにおいて印象的であったのは、五感を通じて愛知の魅力に触れられたこと。例えば、「集まれ!あいちの魅力博。」では、特産品を味わったり、伝統文化のパフォーマンスを観賞したり、工芸品を演奏・製作したりと、各市町村の魅力を多面的に学び、体験することができました。加えて、「54市町村ご当地モリゾー・キッコロ」を通して、愛知の全市町村名をモチーフとなっている特産品とともに覚えたことは、訪れたことのない市町村に対して親近感と興味を持つきっかけとなり、前述したイベントでの経験がより一層豊かなものとなりました。また、以上の経験によって、愛知への愛着と誇りがますます深まったとも捉えています。
2005年愛・地球博を経て、2025年愛・地球博20祭が私にもたらしてくれたのは、愛知の溢れる多彩な魅力を発信し、大切に守り育て、未来へと繋ぐ一端を担うことで、生まれ育った愛知に貢献したいという志です。20年前の私の足跡と家族と過ごした思い出を今なお残し続け、そして、これからの私の希望と未来の姿を形作る場所。この先もずっと、この愛・地球博の地とともに歩み続け、成長し、未来を支えられる人になることを目指し、これからも日々邁進していきたいです。
西本三枝子さん
2005年の「愛・地球博」は、私にとって初めての万博体験でした。あの時のわくわくする気持ちは、20年を経ても色あせることなく、今も多くの人の心に残っているように思います。実際、当時はまだ生まれていなかった私の孫も、モリゾーとキッコロのことをよく知っていて、私の家にあるモリコログッズを見てその名前を口にするたびに、万博の記憶が静かに次世代へ受け継がれていることを感じます。
今回、5月18日に「愛・地球博20祭」の会場に足を運んで、再び心がわくわくしました。会場全体が小さな万博のようで、各市町村の展示や企画から地域の想いが伝わってきました。中でも印象に残ったのは、缶バッジ制作コーナー。地元の歴史や特色を自分で選び、バッジに仕上げる体験がとても楽しかったです。長久手市の企画では、合戦にちなんだ武装の衣装に身を包み、兜や武器を手に取る体験もあり、歴史とつながる瞬間に胸が高鳴りました。
芝生の舞台ステージでは各地域に伝わる伝統文化が披露されていて、こうした文化が今も大切に受け継がれていることに、あらためて感動しました。夜に行われた、川上ミネさんのライブ演奏にも胸を打たれ、自然あふれるモリコロパークで聴く音楽は、心に染みわたりました。
私は今、80歳。長年、自宅で子どもたちに習字を教えています。毎日のように顔を見せてくれる生徒たちに、「このまちが好き」「自分の生まれた、この場所が好き」という気持ちを持たせることが、今の私にできる役割だと思っています。万博の理念を次世代に伝えるのは、何も難しいことではありません。誰もが、自分のまちやふるさとを大切に思う気持ちを自然に持つことができれば、それは自然と未来へのバトンになるはずです。
リニモの駅へ向かう帰り道、ふと心に浮かんだのは、今日、会場にあふれていた笑顔や、子どもやその保護者が楽しそうにはしゃぐ声。それは、20年前の万博のときも、いや、もっと昔の青少年公園の頃も、ずっと同じように響いていたように思います。そんな想いを胸に、「未来はきっと大丈夫」と、感じた1日でした。
高木一さん
「未来が芽生える場所、モリコロパークでの気づき」
モリコロパークに着いたとき、なんだか妙に静かで、でも何かが始まりそうな、そんな空気だった。
青空がまぶしくて、風がさらさらと鳴る中で、「地球の樹」っていう光の展示がゆらゆらと揺れている。なんだか生きているみたいだった。
その一枚一枚が、確かに“種”だった。
なんだろう、ただ見て回るだけのつもりだったのに、気がつくと「私って何を大切にしてるんだろう」なんて考えていた。展示に問いかけられているような、そんな気分だった。
それは、何を守りたいか、何を伝えたいか、何を育てていきたいか──という問いだった。
風鈴が鳴る「彩の回廊」、子どもたちが笑う交流フェスタ、瀬戸焼に絵を描く手のひらタイムトラベル。どれも遊びながら、思いながら、知らないうちに「芽」を育てるような場だった。
芽を出すって、土があればいいってもんじゃない。時間も必要だし、水も日光も。それに、誰かが気にかけてくれることも。
私は、この20祭で出会った大学生の展示に感動した。竹を編み、自然素材で光と影を生む彼らの作品には、未来をつくる想像力と責任が宿っていた。
見栄や効率を超えた、根に触れるような表現だった。
未来をつなげるとは、何かを「新しくする」ことだけではないと思う。
むしろ、「何を捨てずに抱えていくか」を選ぶことかもしれない。
白い紙に描く種の絵は、きっとまだ芽も出していない。でも、私はその絵を描いた瞬間から、自分の中で何かが根を張り始めた気がした。
もしこの“樹”に名前をつけるなら、「共感の樹」だろうか。
年齢も国も異なる人々が、それぞれの種を持ち寄って育てる森。
語りあい、笑い、驚き、少しずつ枝を伸ばしながら、自分の時間と他者の記憶を交差させていく樹木。
未来に何を残したいかって聞かれても、正直よくわからない。でも、この"一緒に育てる"っていう感覚は、なんとなく大切にしたい気がする。
完成された正解ではなく、「一緒に育てる」という選択。
語りかける展示、歩くことで謎が解ける遊び、耳を澄ますことで季節が聞こえる場所──それらがすべて、芽吹きの土壌になっていた。
渡邊友雫さん
7月、文化人類学の授業の一環で訪れた「愛・地球博20祭 地球大交流フェスタ」は、単なるイベントの枠を超え、私にとって“地球に生きる”ということを考え直すきっかけとなる貴重な体験でした。会場では、世界各国の文化や生活、音楽、食などが紹介され、まるで地球全体が一つの大きな家族であるかのような感覚に包まれました。私たちのグループは、インドネシアとフィリピンをテーマに調査し、現地の宗教・伝統・暮らしに焦点を当てて発表しました。実際にパビリオンや展示を見て、机上で得た知識が生きたものとして自分の中に入ってくるのを感じました。例えば、インドネシアの影絵芝居「ワヤン」やフィリピンの民族舞踊には、単なる娯楽ではなく、信仰や歴史、共同体とのつながりが深く根付いています。それは、文化が人々の生き方や価値観と密接に関係していることを改めて示してくれました。フェスタでは、他国の人々と直接言葉を交わす場面もありました。言語や習慣の違いはあれど、笑顔やジェスチャー一つで通じ合える瞬間が多くあり、人間同士の根本的なつながりを感じました。「違い」は恐れるものではなく、むしろ学びや豊かさにつながる“可能性”であると実感しました。文化人類学の学びを通して、自分の常識が絶対ではないことに気づき始めていましたが、今回のフィールド体験でそれはさらに深まりました。私たちは自分たちの文化の中で育ち、それを“当たり前”だと思いがちです。しかし、世界には無数の“当たり前”が存在し、それぞれに背景と理由があります。それを理解し、尊重しようとする姿勢が、これからの多文化共生社会において何よりも大切だと感じました。この体験を、今後の学びや日常の中でどう生かしていけるか。それは、まず「知ろうとすること」「聞こうとすること」から始まると思います。無関心ではなく、好奇心と尊重の気持ちを持って、他者と関わっていく。その姿勢を未来につなげていきたいです。
横山蒼さん
「地球を感じた一日――文化と命をつなぐ看護の心」
私は「愛・地球博20祭 地球大交流フェスタ」に参加し、多様な文化や価値観に直接ふれる貴重な体験をした。このイベントでは、世界各国の伝統や生活様式、そして人々の考え方にふれることで、「違いを受け入れる力」と「共に生きる姿勢」の大切さを学ぶことができた。
中でも心に残っているのは、フィリピンの先住民族と環境保護活動に取り組む若者たち「アナク・ディ・カピリガン」との交流だった。彼らは、自然とともに暮らす生活の中で、環境問題や健康への関心を持ち、自分たちの村や仲間を守るために活動していた。その姿は、地域の中で人々の生活や健康を支える「看護の役割」と重なるものがあった。
医療や看護の分野では、近年「文化的看護(カルチュラル・ケア)」の重要性が強調されている。患者の国籍や宗教、生活習慣を理解し尊重する姿勢が、よりよいケアにつながるからだ。今回のフェスタでの交流を通じて、私は「文化の違いに気づき、相手の背景を理解しようとすること」が、看護師にとっても欠かせない視点であると実感した。
また、発展途上国では医療へのアクセスが限られていたり、衛生環境が十分でなかったりする現状についても話を聞いた。健康は世界共通の願いであるにもかかわらず、その機会が平等に与えられていないことに対して、私は「自分に何ができるだろう」と考えるようになった。
今後、看護職を目指す私にとって、このような国際的な視点や交流の体験は、看護の視野を広げる大きなきっかけになった。どこに生まれ育っても、人々の健康と尊厳を守りたいという思いは共通であり、それに寄り添える看護師になりたいと、改めて強く思った。
このフェスタで得た「理解・共感・行動」の3つのキーワードを、私は今後の看護実践の中で大切にしていきたい。そして、地球規模の課題に向き合いながらも、一人ひとりの声に耳を傾けるケアの姿勢を忘れず、未来へとつなげていきたい。
吉田和加さん
「当たり前の外にある世界」
私は、文化人類学の授業の一環として、愛・地球博記念公園を訪れた。そこで、フィリピンやインドネシアの文化に触れ、現地の方々から直接話を聞く機会を得た。
展示されていた品々は、どれも私にとって新鮮だった。中には見たこともない形のものもあれば、直感的に使い方がわかるものもあった。そして、使い方が想像できても、自分の想像とは別の用途があるものも存在した。
そこで、最も興味深かったのは、「見た目が似ているもので、同じものに見えても、その用途や作られた意図が全く異なるもの」たちだった。見た目だけでは決してわからない、その背景にある文化の意味や意図。実際に話を聞きながらそれを知ったとき、私は初めて、自分の目がいかに「自分の前提」でしか世界を見ていなかったかを思い知らされた。
「当たり前」と思っていた感覚が、他の誰かにとっては全く当たり前ではない。私が理解しているつもりで理解できていなかったことだった。そして実際に多様な文化と直に向き合ったことで、私はようやくそれを「実感」として受け止めることができた。
また 自分の価値観だけで相手を理解しようとすると、 相手の本当の気持ちや状況を見落としてしまうことにも気づかされた。
多文化を学ぶことは、単なる知識の獲得ではない。他者の価値観や生き方に触れ、理解し合う。そして尊重し合える社会こそが、これからの未来に求められているのではないか。
これは、 医療の現場においてもとても重要な視点だ。医療従事者を志す私にとって、大切なことであり、見落としてしまっていたことだと気付かされた。
これから先、どんな場面でも「自分の常識だけでは測れない世界がある」ことを忘れずに、人と向き合っていきたい。
菅沼敬子さん
「タランテッラとの出会い」
7月5日私は(シロッコというイタリアのバンドのコンサートを聞いてみたい)という軽い気持ちでリニモに乗った。大芝生広場に行ったものの、太陽がジリジリと焼けつくような暑さだった。
ところがいざシロッコの音楽が始まると滝に打たれたような感覚になった。笑顔で「今からお届けするのはタランテッラという音楽です」とおっしゃった。タランテッラを聞いたのは初めてだったがイタリア映画「ニューシネマパラダイス」フェデリコ・フェリーニの「道」で見るような景色が浮かんで心にスーッと入ってきた コンサートの後シロッコの4人のメンバーと一緒に写真を撮っていただいた。
翌日もシロッコの皆さんに会いに愛・地球博記念公園へ行った。そしてアコーディオンとバイオリンを演奏しながら歌っていた女性の所に行き「あなたたちの音楽はすばらしいです。大好きになりました。これは小さなプレゼントです。」と言って焼き菓子を差し出すと「本当に?ありがとう。私もあなたにプレゼントをあげるわ。」とおっしゃってなんとバッグからCDを出された。
「私が普段活動しているバンドはダッラ・テッラっていうの。私はニコレッタ・サルヴィ。メンバーのアントーニオとジァイメは今イタリアにいるのよ。CD聴いてね。」とおっしゃってプレゼントして下さった。
そして偶然帰りにゲートでシロッコの4人と再会できた。仕事でイタリア人と話す時は緊張して上手く話せない。でもこの時は(みっともなくたっていい。シロッコの皆さんにタランテッラを教えていただいた感謝の気持ちを伝えなくては)という想いに駆られた。私のイタリア語は間違いだらけだったに違いない。それでもシロッコのメンバーは笑顔で「イタリア語が上手だね。来てくれてありがとう。お菓子をありがとう。」と言って下さった。
私は愛・地球博20祭が終わっても愛・地球博記念公園には日常的に訪れる。以前は外国人観光客と交流するためには京都や大阪まで行かなくてはならなかった。しかしジブリパーク開園を期に変わった。愛・地球博記念公園を歩いていると「Excuse me.」と声をかけられたりイタリア語の会話が聞こえてくるようになった。愛・地球博記念公園は万博以来再び国際交流できる公園になった。(外国語の練習のために勇気を出さなくては)等と気負う必要は無い。ただ楽しんでさえいれば国際交流のチャンスに出会えるからだ。
梶浦美也子さん
「残したい場所」
あれから20年、この地にまた多くの人々が集まって来ている。20年前1歳と5歳の子供を連れて、何度も訪れたこの場所に。
愛知万博には多くの国々が参加していた。小さかった子供達は何を思って、何を感じたのだろう。小さすぎて、まだ何も分かっていなかったかもしれない。でも我が家の車には、ずっとキッコロのマスコットがぶら下がっていた。動くたびに「ピコピコ」と鳴っていたが、今ではゴムも伸び汚れてしまっている。私は子供とまたこの地に訪れた。新しくモリゾーとキッコロを買った。子供の「懐かしい。」の一言に、少しでも覚えているんだな、と嬉しく思った。
今、20周年祭で色々なイベントが行われている。愛知県内各市の特産物の紹介や販売、リニモ春風ウォーキング、ドローンショーなど。
春風ウォーキングでは、自然の中を歩き何キロも歩いていることを忘れた。各市の物産を見て体験し、特産物は美味しいものばかりだった。
20年前には無かったドローン。技術は日々進歩している。その技術を自然を壊すものではなく、育てる事に使って欲しい。そして今、この地にはジブリパークがある。国内のみならず海外からも、毎日多くの人が訪れている。でも、ここはテーマパークではなく公園。モリコロパークもジブリパークも、森の中で自然と共に、 を大切にしている。
シンボルの地球の木は、この20年地球で育った私達が成長した姿、その象徴。この木がこれからも大きく育ってくれる事を願いたい。100年続く公園。そう、モリコロパークもジブリパークも100年続く公園を目指している。でも私は、もっと長く続いて欲しい。
私は今、そのジブリパークで働いている。これから何年先も、ここで働けた事が誇れるような公園であって欲しい。今、ここで遊んでいる子供達が大きくなって、またこの地に訪れてくれるよう、この場所が長く続く事を願って。
福島ダヴィさん
私は「愛・地球博20祭 地球大交流フェスタ」に参加し、アイヌ文化とその継承、そして差別の現状について学ぶ機会を得ました。実際にアイヌの方々のお話を聞き、その生の声から深い気づきを得ました。
特に印象に残っているのは、「チームピリカプ」の方々のお話です。彼女たちが語ってくれた差別の経験は、決して過去のものではなく、今もなお続く現実でした。見た目による差別や、ネット上の心無い言葉、さらには「お遊戯会」や「コスプレ」などと揶揄される文化活動。そのひとつひとつが胸に刺さりました。
それでも彼女たちは、自らの文化に誇りを持ち、それを未来へつなげようと活動していました。伝統舞踊、ムックリの演奏、鶴の踊りや黒髪の踊りなど、どれもが自然や感謝、生命と深く結びついており、アイヌの文化がいかに豊かで深いものであるかを感じさせてくれました。
また、女性であることとアイヌ民族であることが重なって生じる「複合差別」についても、初めて知ることが多く、私自身の視野が広がったと感じています。差別の根は深く、簡単にはなくならないかもしれません。しかし、こうした交流の場で直接声を聞き、文化を知ることが、少しずつでも偏見をなくす第一歩になると実感しました。
未来に向けて、私ができることは何か。それは、まず知ること、そして伝えることだと思います。アイヌ文化を学校教育にもっと取り入れること、メディアが多様な視点から報道すること、ポップカルチャーとの連携で興味を持つきっかけを増やすこと、そうした小さな試みが、より持続可能で多様性を尊重する社会をつくっていく鍵になると信じています。
今回の体験は、私の人生の中でも大きな学びとなりました。アイヌの人々の声を胸に、これからも文化と人権について考え続けていきたいと思います。
杉本彩夏さん
「時は流れてもやがて」
「愛・地球博20祭」これを始めて知ったのはコンビニエンスストアのチラシだった。その時は、シンボル展示の地球の樹は確かに万博の理念に合致している。でも、20年も経ってなぜ今?彩の回廊は大学生という限られた人達だけの企画?という感想であった。しかし、ある時、駅にはひと際大きく目立つ市町村の特徴を扮したモリゾーとキッコロガチャのポスターが掲示されていた。20年前、モリゾー運転手のバスに乗りたくて会場を目指した自分を思い出し、かつての地を訪れることにした。
当然、パビリオンなどはない。当時からある建物もあるが、ジブリパークのように新たに建てられた建物もある。しかし、風景は変わっていても実際にその地に立つと当時の風景が思い出された。拍車をかけるように、「手のひらタイムトラベル」では懐かしい思い出が込み上げてきた。極めつけは、ドローンショーであった。告知されていた写真では幾何学模様のような図形だけだったので、実際の夜空に描かれた文字やキッコロとモリゾー、マンモスの描写には、事前にプログラムされている動きだと分かっていても目を見張った。青色LEDが発明されたことでイルミネーションが広がり、一昔前はプロジェクションマッピングが流行した。東京2020以降はドローンの流行を感じる。やがては新しい表現方法が生まれるのだろう。それは変化であり発展するということである。
私が愛・地球博20祭の体験で得た事は、形あるものは風化し、やがて消えて新たなものに変化していく。対して、思い出は消えず色褪せることもない。忘れていたように感じていても心のどこかに記録されている。未来に繋げたいことは、想いを重ねることで新たな思い出が創られる。これは計算でできることではない。人類はマンモスが住む太古の時代から数多くの失敗を含んだ経験を積んで発展してきた。これは効率重視で正解だけを求めるAIと違うところである。人間一人の寿命は儚い。しかし、現在は記憶を記録する手段もある。それを伝承することで新たな人へ継承されていき、人類が発展していくことを信じてやまない。
吉田かおりさん
「家族を、繋ぐ」
ホームに滑り込んでくるモノレールの車体に、懐かしい緑色のキャラクターが描かれていることに気づき心が躍った。その横には「愛・地球博二十祭」のロゴ。電車に飛び乗ると、バッグに付けたキッコロのマスコットが嬉しそうに揺れる。私は、母と弟と三人で、愛・地球博記念公園へ向かった。二十年ぶりだ。
愛知万博が開催された二○○五年、私は愛知に住む高校生だった。会場へは、家族六人で訪れた。祖父と祖母、父と母、弟、そして私。
キッコロのマスコットは、万博会場で祖母が買ってくれたものだ。隣にあったモリゾーも購入し、二人でバッグに付けた。お揃いだね、と笑う祖母と、マスコットを手に写真を撮ったことを思い出す。寡黙な祖父がシャッターを押してくれた。撮影者は写真には写らないのに、祖父はニコニコと笑っていた。その場面を、何故だかよく憶えている。
現在開催中の「愛・地球博二十祭」には「おさんぽスタンプラリー」というものがあり、私たち三人は、それに参加することにした。公園内の八か所の展示を巡っていく。
「愛・地球博記念館」で当時の写真パネルを眺めていると、あの日の場所を今また訪れているんだということを実感できた。
途中、当時のままの外観の「マンモス・ラボ」(現在は「ジブリの大倉庫」)を見上げた。大行列に並んで見た冷凍マンモス。太古の昔の生き物の姿が目の前にある驚きを噛みしめていたところへ、お調子者の父が「毛深いイノシシだったな!」と言い放ったことも、それを家族みんなで呆れて笑ったことも、やけに鮮明に思い出す。
愛知万博から二十年。これまでの日々はあっという間だったけれど、二十年という時の流れは多くのことを変えた。
祖父は万博の少し後に亡くなってしまったし、祖母は今では私たちのことをすっかり忘れてしまった。父も、数年前に亡くなった。
懐かしさに心が温まる反面、あの日のように家族六人で笑い合うことはもう叶わないのだと、切なくなった。この場所での思い出が消えてなくなることはないけれど、それでもやっぱり、寂しい。
だけどそれと同時に、家族というのは形を変え、未来へ紡ぎ、繋いでいくものなのだとも感じた。
スタンプラリーの後、母と弟と三人で、芝生に座ってサンドイッチを食べた。母に近況を訊ねられ、幸せな毎日を報告する。弟も私も、今年結婚をした。家族を、繋いでいくのだ。
次またここに来る時には、大切な家族が増えている、かもしれない。
城田美晴さん
ある日、「愛・地球博20祭」の開催を知った。胸が高鳴ると同時に、現実が顔をのぞかせる。4歳の娘を連れて、新幹線で遠くのモリコロパークまで行くのは容易ではない。迷いの影が心を覆いかけたそのとき、川上ミネさんのピアノコンサートがあることを知った。迷いは一瞬で晴れた。「この場所で、あの音を聴きたい」。娘の小さな手を握ると、彼女もにっこり笑ってくれる。その笑顔のぬくもりが、私の背中をやさしく押した。
20年ぶりに訪れたモリコロパークは、まるで時間が優しく巻き戻ったかのようだった。ゲートをくぐった瞬間、光と風が記憶を呼び覚まし、木々のざわめきや土の香りが胸に懐かしさを染み込ませる。娘は小さな腕を広げ、初めての景色に目を輝かせて駆け出した。その姿を追いかける私も、自然と笑顔になる。観覧車の頂上から見下ろす広場や森は、かつて両親と眺めた景色と重なり合い、今は母として娘と同じ景色を共有できる喜びが胸に広がった。娘の小さな手の温もりや笑い声、駆ける足音。その一つ一つが一日の物語を奏でる音楽のように響いていた。
そして迎えた川上ミネさんのコンサート。地球の樹を背に響くピアノの音色は、空気を澄ませ、心の奥に静かな光を灯す。娘は私の手をぎゅっと握り、目を閉じて音の波に身をゆだねていた。音のひとつひとつが、親子の心に刻まれていくのを感じた。
帰りの新幹線。眠る娘を抱きながら、今日という一日を反芻した。そこには確かに、変わらない温もりがあった。自然の息吹や人々の笑顔、音楽に耳を澄ます静けさ、子どもたちの歓声。すべてがこの場所の魅力として受け継がれている。そしてそれは、20年前に私が受け取った万博の記憶が、今度は娘へと手渡されていく瞬間でもあった。
今日感じた瞬間は、娘と私の心に灯となり、未来をやさしく照らし続けるだろう。眠る娘の髪を撫でながら、私はその灯を胸に、微笑んだ。
薛知明さん
「モリゾーとともに」
私は香港生まれだが、母が日本から持参したモリゾーぬいぐるみを、生後間もない私とベビーベッドで同居させていた写真が残っている。愛・地球博開幕の3年前にモリゾーが登場した時から熱烈なファンという母は、鳥のひなが初めて見た動くものを親だと認識する「刷り込み効果」を狙っていたのだろう。それが功を奏したのか、私は生き物や自然が大好きな子どもとして育ち、モリゾーは守護神のように思える存在になっている。
私は、両親から50回ぐらい訪れたという愛・地球博の思い出話を聞かされるたびに、自分もその時代に生まれていたかったと悔しく思っていた。今回、20年前の愛・地球博の再現であり、続きでもある愛・地球博20祭が開催されると知り、これには行くしかないとなった。20祭開幕初日のモリコロミュージカルも楽しめたが、「愛・地球博記念館特別展示」では、当時のパビリオンや展示物を紹介するパネルを、一点ずつじっくり見学した。中でも特にひきつけられたのは、「ユカギルマンモスの頭部の展示」を紹介するパネルだった。「マンモス絶滅の原因の1つが温暖化」という指摘は、まさに現代の私たちが直面している問題であり、「史上初のマンモスのミトコンドリアDNAの全配列解析」も、次世代シーケンサーが登場する前に行われたという点で非常に画期的だと感じた。
8月の「地球を愛する学園祭」ではメタバース会場を訪ねてみた。モリコロと一体化できる「モリコロプライド」のブースは、モリコロパークで常設してほしいぐらいだ。メタバース会場でも同様の体験ができるとさらに楽しめたと思う。また、海洋プラスチック問題など生物や自然環境に関する展示もいくつか回り、研究や取り組みを応援したくなった。
私は来春、大学の理学部に進学し、生物の細胞について研究したいと考えている。卒業後は大学院に進学し、生物に関する知識や自然環境への関心を高めるメッセージを一般市民に伝えるサイエンスライターとしても活躍できる研究者になりたい。
このように生物研究を続けることで、愛・地球博30祭ではブース出展などの形でかかわれるかもしれないし、かかわれるような自分になりたい。30祭へのカウントダウンは既に始まっている。それは私自身が研究者という夢に一歩ずつ近づいていく日々だと信じ、その日まで守護神モリゾーとともに歩んでいきたい。
毛利昌恵さん
愛・地球博から20年が経過して、今年は大阪でも万博が開催されています。
愛・地球博の時も現在も高校の教員を続けていますが、今年度から「観光ビジネス」という科目を教えることになりました。瀬戸市内の勤務校のため、瀬戸市の観光について私自身が色々学ばねばと、愛・地球博20祭関連イベントにいくつか参加しました。
ブラアイチin瀬戸では、やきものの街として発展するために山から土を採りすぎたことで、山の環境を一時的に壊してしまいましたが、山の保全のために植林をおこない、今の瀬戸の山々があることを知りました。海上の森は、もとから自然豊かな森であったと思い込んでいたので、本当に驚いたとともに、良い学びとなりました。このことを知り、海上の森は今後も守っていかなければいけないと感じています。 現在の高校生は愛・地球博が開催された時にはまだ生まれていませんが、自然豊かな瀬戸の森のこれまでについては授業で生徒に話をしました。生徒達も、瀬戸は昔から自然があるものだと思っていたようで、興味深く聞いてくれた生徒もいました。
また、愛・地球博記念公園までプロギングというイベントにも参加しました。プロギングはごみを拾いながらジョグする、というものです。愛・地球博の「自然の叡智」というテーマで、サステナブル社会の実現に向けた活動を、という点において、乗り物を使わず自らの脚を使って、楽しくごみを拾いながら公園まで行くなんて、地球環境に負荷をかけずに、将来の世代に少しでも負荷をかけないようにと考えるきっかけにもなりました。
また、プロギングイベントにも参加したいと思いましたし、身近な場所の落ちているごみについても以前より気になり、出来る限り拾うようにしています。
愛・地球博30年祭、40年祭がもし開催されれば、その時まで、私達世代は少しでも地球環境に負荷をかけない生活を心がけていかなければならないと思っています。
堀江みるきさん
サラゴサ万博で披露されたミュージカルの再演があると知って懐かしくなり、観覧に応募した。
「ママ、モリコロ可愛いね。」そう言いながらミュージカルを観ている息子が抱えるキッコロのぬいぐるみは、私が愛・地球博当時に買い集めてたもの。子供たちが毎晩のように一緒に寝てもうクタクタになっている。
モリコロパークに訪れるのは愛・地球博以来だ。子供たちは私の年季の入ったそのキッコロのぬいぐるみを連れてきた。他の観客たちも当時のマスコットやグッズを持ち込んで20年ぶりの同窓会のようだった。
「大先輩になっちゃったね〜」ミャクミャクを紹介するキッコロのセリフにはっとした。当時の私は20歳。モリコロたちも、もう20歳なのか。
ミュージカルではキッコロとモリゾーたちが楽しく明るく、きれいなお水や豊かな森の大切さを子供たちに改めて教えてくれた。「わるものの子がお水汚してて怖かったね、みんなできれいにできてよかったね。」少し怖がっていた息子も、ホッとしていた。
普段当たり前のように触れあってる水や美しい自然も未来への保証はされていない。
近年肌で感じている夏の暑さは一昔前とは比べようにならない。一体20年後はどうなっているのだろうか。
私たちは日本の美しい四季をまもり、次の世代に引き継がなければならない。
20年後、そのまた20年後の未来も、こう言ってまた会いたい。美しい自然、モリコロたちにー。またね、こんにちは。
日置睦親さん
「祖母と長男にとっての特別な場所」
今から20年前に開催された愛・地球博で展示されていた冷凍マンモスを見た長男が、大きな二本の牙、しわが刻まれている皮膚、皮膚に生えている毛に感動し「マンモスは本当にいたんだね!」と大興奮で話す姿を今でも鮮明に思い出します。その後も、万博に連れて行ってほしいとせがむ長男の願いをかなえてくれたのは祖母でした。祖母は、手作りのお弁当を持って長男と一緒に何度も何度も万博会場に足を運んでくれました。
今年の3月、ドイツにいる長男から愛・地球博20祭への誘いがあり、久しぶりに長男に会えることと、20年前に長男と何度も出かけた懐かしい場所、愛・地球博記念公園に長男と一緒に行けることを祖母はとても楽しみにしていました。しかし、長男は仕事の関係で日本に帰って来られなくなってしまい、春休みで帰省していた三男が、長男の代わりに祖母と一緒に行くことになりました。2005年生まれの三男は、ベビーカーに乗って何度か愛・地球博に行っていましたが、生まれて間もなかったため、万博の記憶はなく「愛・地球博のことをいろいろと教えてね」と祖母に頼んでいました。そして当日、20年前と同じように、手作りのお弁当を持って愛・地球博記念公園に行き、記念館の展示を観たり、おさんぽスタンプラリーをしたりして楽しみました。高齢の祖母は車いすに乗って公園内を回りましたが、万博当時のグローバルループの一部分が残っていることに感動したようで、車いすを押す三男に、このグローバルループが多くの人で埋め尽くされていたこと、長男も次男もスタンプ帳を首からぶら下げてスタンプラリーをしたり、いろいろな国の人とピンバッジを交換したりしていたことなど、万博当時のことを思い出し、興奮気味に話していました。その後も、三男は時間を見つけては帰省し、祖母と一緒に愛・地球博記念公園に出かけ、公式ハンディブックを手におさんぽスタンプラリーを楽しんでいました。そして8月22日、長男がドイツから帰ってきました。最後の期間のおさんぽスタンプラリーは長男と一緒に回れると喜ぶ祖母の様子から、愛・地球博記念公園は祖母と長男にとって特別な場所なのだと感じます。20年前は長男が愛・地球博に行くのを楽しみにしていましたが、今は祖母が愛・地球博記念公園に出かけるのを楽しみにしています。二人で出かける愛・地球博20祭がすてきな時間になり、絆がさらに深まりますように。
山田説代さん
愛・地球博20祭「地球大交流フェスタ」で私が主に観覧したのは、Anak di Kabiligan(山の子どもたち)による環境演劇フォーラム「NABA-スマホとゴールド」と、セネガル音楽グループのGroup Afiaによるセネガル音楽のステージである。私はこの演劇フォーラムとステージを見て、出演者が話していたことから、今回のイベントの意義を考えた。
まず「NABA-スマホとゴールド」では、演劇後のアフタートークで出演者のAnak di Kabiligan(山の子どもたち)の方々がいくつかの質問に答えていた。その中で特に印象的だったのは、「演劇に参加する前と後でどんな変化があったか、また、演劇への参加を通してどのようなことを学んだか」という質問に対する回答である。具体的には、「鉱山開発の会社は嫌いだが、自分たちの生活での重要性が分かった」という回答や「鉱山の町に住んでいたが、現実が見えていなかった」といった回答があった。私はこのような回答を聞いて、演劇をきっかけに観覧者だけでなく出演者も自分の住んでいる地域への理解を深められていることに気付いた。
一方セネガル音楽のステージでは、セネガル出身の方々と日本人の方々が一緒に顔を見合わせながら楽しそうに演奏したり踊ったりしている様子がとても印象的だった。出演者の代表の方が「メンバーそれぞれ住んでいる地域が違うので一緒に練習する機会があまりなかったが、パッションで乗り越えた」というお話があったが、確かにセネガルの文化という共通のテーマを通じて、それぞれルーツの異なる出演者の方々が繋がっているようでとても素敵な関係だと思った。
このように演劇フォーラムやステージなどの企画を通して、現地の人々自身が自分の地域のことについて考えを深めたり、ある地域の文化で異なる地域に住む人々が繋がったりしていることがわかった。自分が住んでいる地域あるいは他の地域の歴史や文化、環境問題などを他の人に「伝える」という視点に立つことでさらにそれらのことについて考えを深めたり、新しい交流が生まれたりしている。こうした営みが行われるという点で愛・地球博20祭は大きな意義があるのではないかと考えた。今回の愛・地球博20祭のメインテーマにもあるように、今回のイベントで生まれた思考や交流を私たちの未来へつなげていきたい。